アメリカど初心者日記

テキサス、ドラァグレースとネットフリックス

一年超の無職生活後にアメリカで就活した話

こんにちは〜

アメリカに移住してから1年3ヶ月経ったので、これまでの生活と就活がどんな感じだったのか適当に記録に残しとこうかなと思います。

 

〜時系列〜

 

2021年 11月 日本からダラス移住

2022年 10月 シアトルに引っ越し

2022年 11月 カフェでバイトを始める(国外で初めての仕事)

2022年 12月 重い腰を上げ就活を始める

2022年 1月  build engineerとして内定もらう

 

日本では派遣会社でDevOpsエンジニア(build, testのみ)として一年未満働いていたんですが、アメリカ移住が決まって辞める時に揉めに揉め、法律を盾に口論し続けなければならなかったのがまあまあトラウマになってしまい、「しばらく働きたくない...経験も技術も社会で通用するレベルじゃないし、英語もネイティブと話せる自信ないし」...とかなり落ち込んでしまいました。日本の派遣会社はまじでヤクザだと思います。

ダラスに住んでた時は、一年に3度も銃撃戦が家の近くで起こり、そのうちの一度はアジア人を狙った銃撃だったため怖くてバイトもできず、クラウドワークスで記事を書いたり自分のwebsiteを始めて数ヶ月で断念したりしてました。

何のコミュニティにも属してなかったので友達も全く出来ず旦那と旦那の同僚しか知り合いがいない状態でした。そんな時に旦那の同僚から「もし仕事に復帰したいならどうしてブランクがあるのか面接でうまく説明できないとダメだよ」と尋ねてもないのにマンスプされたことを今でも覚えてます。。(嫌いアイツ) でもまあ実際なかなかうまくいかないよなあとも思い、この先一生無職なら年金は貰えるんだろうかなど考えて1人で泣いたりと薄っすら鬱になっていました。こういう時に友達がいればもう少し気持ちが晴れたのかもしれないけど、どうやって友達を作れば良いのか今でも分かりません...(人見知り)

そんなこんなでシアトルに引っ越し1ヶ月経った頃、カフェでバイトしたいと思いたち、好きなカフェがたまたまバイト募集中だったのでindeedでapplyしたら店長からメッセージを貰い次の日に面接することになりました。

バイトの面接では、「ビザのステータス」「パートタイムかフルタイムで働きたいか」「バリスタ経験はあるか」などを聞かれました。カフェで働いたことはなかったのですがとにかく沢山人が欲しいようで即採用でした。

面接に行った際に、アメリカに渡米以降初めて旦那なしで1人で外に出かけたのでとても新鮮な気持ちでした。そこからエンジニアの仕事をもう一度始めたいと思い直し、linkdinから片っ端にapplyし始めました。就活期間は1ヶ月くらいだったのですが3社と面接をしました。

1社目はパナソニックと面接しました。hiring managerが日本語の喋れるエンジニアが欲しいとのことで2次面接までしたのですが、結局「まだポジションがオープンするのが2023年の4月以降なので」という曖昧な断られ方をしました。Glassdoorで会社の面接レビューが見れるんですが、そこでも同様のレビューが何件もあったので不透明な面接プロセスをする会社なんだなと見限りました。日本に出張する話など聞かされてたのでとてもワクワクしてたのと、二次面接では人生で一番上手く喋れたと思ったのでリクルーターから返事待ちの二日間くらいは家で泣いてましたw 許すまじ

2社目はBluetoothと面接しました。一次面接はHR、二次はhiring managerで、hiring managerが日本で働いたことがあるらしくとても好意的な対応をしてくれる人でしたが技術質問に全く答えられずもれなく落ちました。

3社目の会社で働くことになったのですが、二次面接が対面で緊張で死ぬかと思いオンライン面接のありがたさが身に沁みました。オファーをもらった後に、senior devopsの人が日本に留学したことがあって日本語勉強中だと教えてもらい、もしかしたらそれが一押しになったのかなと思ってますw

 

...という感じでした。私は知識も経験もほぼないエンジニアなのでいつクビ切られるか分かりませんが、がんばります...就活を通して思ったのは、「アメリカで就活をする時には日本語を喋れることは隠した方が給料が上がる」とよく聞きますが、給料気にしない場合は書くと良い方向に働くこともあるんだなーということと、ブランクがあっても面接で「なんで一年以上もブランクあるの?」とは誰からも一切聞かれなかったです。(みんな嘘つき)

おわり