「art&queer culture」という本の和訳第2回目です〜。これで2ページ分くらいしか進んでません笑 いつか読み終えられるのでしょうか笑
フランスの哲学者ミシェル・フーコー曰く、
19世紀に"ホモセクシュアリティ"という言葉が医学的に発明され、同性愛者は犯罪者としてではなく、ある逸脱した種類の人間として認められるようになりました。
フーコーは、それまで犯罪行為として禁じられていただけであって、昔から存在していた同性愛という文化をさも「新しい」アイデンティティとして受け入れることを拒否し、構造的なカテゴリーとして捉えようとします。
1895年に戯曲『サロメ』の作者であるオスカー・ワイルドが、男色という卑猥行為を犯したために投獄された事件は、「男同士の卑猥行為は非行である」とするlabouchere amendmentという法律に従った考えを助長させました。
批評家のEd Cohenによると、オスカーの投獄の理由は、どの新聞、批評家も「ある非行によって」や「不道徳な関係によって」などと婉曲的に説明したといいます。
そのような丁寧な仄めかしがクィアカルチャーを形成しました。
オスカーは歩きぶりも"ゲイ"らしく、特に彼の衝撃的小説『ドリアングレイの肖像』は彼が良からぬ性的指向を持っていることを示唆します。
以下は、小説に関して議論をする彼と彼の弁護士の会話です。
「アーティストとしてのドリアンに対する愛情は、ある傾向を持ってると信じさせるような普遍の特徴へ導いてない?」
「普遍の特徴ってのがよくわからない」
「ならこう尋ねるよ、ある男が若者に対してもつ感情の描写は適切か不適切かどっちだと思う?」
「私はアーティストとして、アーティストが美しいパーソナリティに出会う心情を表すのに最もふさわしい描写をしたと思う」
オスカーは弁護士の、"不適切"や"猥褻"という枠にはめようとする偏見に挑むと同時に男に持つ感情を芸術のステータスとし、同性愛を正当化させるために芸術というカテゴリーに当てはめるレトリックを使用しました。
画家のロートレックによって、赤リップを塗り活気に溢れたディナージャケットを着たオスカーのボヘミアンな生き様が映し出されました。当時、こうした曖昧な猥褻的表現を男がすることは許されておらず、オスカーのように犯罪者として扱われましたが、女のそうした表現は有罪とはされませんでした。
哲学者のジュディス・バトラー曰く、
「レズビアニズムは公式に禁止されるほど現実的でなく認知されていなかったため暗黙的に禁止されていた」といいます。レズビアンカルチャーは今もゲイカルチャーと比べて公的な場所での表象は少なく、より個人的です。
アリス・オースティンは8千枚もの女性の親密な様子の写真を残した写真家でした。1890年代には自身が男装をした個人的な写真を残し、クィアの可視性の出発点を作ります。彼女はヴィクトリア時代のフェミニニティに同化せず、結婚も子供も作らず、経済的に離別するまではずっと女友達のTateと暮らしていました。
しかし、不思議なことに、歴史的建造物となっている彼女の家に関する資料では、Tateのことは「古い付き合いの友達」と一度言及されているにとどまり、彼女のレズビアニズムは消し去られます。
91年にNina Vevittによって、アリスの作品である、女性二人が抱き合っている写真が、部分的に白いベールによって覆い隠された施しを付せて再出版されました。ninaは白いベールによってレズビアニズムが不可視されている歴史的状況を表そうとしました。
この作品のオリジナルタイトルである「darned (呪われた、くだらない)club」は、女の親密性が醸し出す排他性に腹を立てた男による悪口が由来です。
レズビアニズムが透明化される要因を示唆するようなタイトルと言えるのではないでしょうか。
本の詳細はこちらから
https://uk.phaidon.com/store/art/art-and-queer-culture-9780714878348/